TWO M'S別冊’90.6.30号 DR250S開発特集からGooseエンジンについて考える
Gooseが発売した時、あれだけ特集が組まれたのにエンジンについては改良されたシリンダーヘッドについてしか書かれていない。 GooseはDRのエンジンを何とかロードに活かせないかと企画が立ち上がったものだから、Gooseプロジェクトチームからはその話題が出てこなかったのだと思われる。 DRがどういう目的で、誰が開発したか判る企画だったので紹介したい。 
…’70年代世界のモトクロス界を黄色一色に塗りつぶしたスズキはモトクロスキングそのものだったという。 しかし、’80年代に入ると徐々に衰退し(正確にいうとワークス体制だった’83まではゲボスやラッキーやジョベといったチャンピオンを次々と輩出していた…この頃のスーパークロスはAMAとプロモーターとのごたごたのため本格参戦が厳しくなっていたことが要因となった)、スズキ=オフロードのイメージは薄いものとなった。  ’80年代モトクロス・エンデューロ・ダートレースが盛んなアメリカでは4ストロークのホンダXRが良い成績を残していた。 ホンダは「西部のデザートに600cc、東部のウッズライディングに250ccが適当」と判断し、一時的(’83〜’85)に開発したXR350を消してしまっていたのです。 そこで「オフロードのスズキ」をアメリカ市場で復活をかけたマシーンが’87から開発が始まったDR350だったのです。 (長い前ふりですみません。 まだまだ続きます。)
 スズキはオールラウンドに賭けたのです。 
砂漠のデザートを突き進む直進安定性とあり余るパワー、野山を掻き分けるように走る超軽量でコンパクトなSOHCエンジン。 これが以前から存在するDRを新規開発するプロセスとなったのです。
余談:’80年代後半に入るとRMが登場した。’88RM250を乗ったことがありますが、とてもピーキーなエスカルゴテールのマシーンだったと記憶しています。 この頃のスズキはやはり成績を残せていなかった。 しかし’90のRMは別物だった、当然CRやYZもすごく乗りやすくなっていた。 この年シュミットやワードやスティーブンソンといった名選手がRMで勝利している。

’88春 plot 01
 DR250Sは’64にすでに存在している。(実は中古のパーツリストを間違えて購入したので判ったのだ:SJ41A)’70年代にクランクケースごと見直しがされ新設計されたものと同様なフライホイルカバー分離タイプのエンジンが初期型には積んであるようですね。
 DR350の開発にはホンダとの契約が切れたアル・ベイカーをアドバイザーとしている。 「ベイカーR&D」デザートレースの神様的存在の彼のshopである。 ベイカーは他車の350ccエンジンとRMの車体の一部を流用してベイカーR&Dで作った物がこのベース車のたたき台となっている。 エンジンはベイカーをはじめとするUS側のスタッフとスズキの意見が一致して超軽量・コンパクトなSOHC350ccドライサンプとなった。
 第2次プロトタイプエンジンは極限まで軸間距離をつめ、ケースの肉厚を減らし、可能な限り軽くした。 開発ライダーもベイカー以外にエンデューロのドゥルー・スミス、ハスクバーナーと契約が切れたチャールズ・ハルカムが加わり、それぞれ得意分野のコースでテストした訳だが「ブーツが焼ける」というほどエンジンの熱の上昇を抑えきれなかった。 それが理由となるトラブルが続出した。 スズキ独自の油冷システムはオイルの温度が下がらなければ効果は半減する。 打開策はなかなかでなかった。
 開発にあたりまずこの人の存在が大きい。 森竹 寛  スズキのオフロードバイクすべてに目を配るプロジェクトリーダーでありエンジン設計の専門家である。(ロータリーエンジン開発から始まり、TSCC GSX-R1100 パリダカワークスDRZ800などのエンジンを手がけている) 一風変わったオイル系統になったのも、この方の経験の高さがなせる物なのだろうと思う。 (フレームがドライサンプのタンク? 始めてみた時はなぜそこまでしてドライサンプにこだわるのか判らなかった。) 確かに超軽量・コンパクトなエンジンにわざわざ別体のオイルタンクを付けたり、オイルクーラーをつけては重くなるばか、転倒で壊れたり、ライディングの邪魔になったりする。 しかし、燃料タンクの真下に熱せられたオイルがかえってくるのはどうなんだろう? デュアルパーパスツーリングマシーンというより、スプリントマシーン傾向が強いように思える。 (打開策は以下の図面で紹介する。)

Gooseのサービスマニュアルを持って
見える方は比較してみて欲しい。 

 メーカー側の量産試作が立ち上がる時期に出た方法で熱対策は一気に解決する。 その方法はオイル通路の途中から分岐させてシリンダーヘッド回りを冷却したオイルはクランクケースに落とさないで直接フレーム(オイルタンク)に戻るようにしたのである。 Gooseはオイルタンクがエンジン下にあるため、循環流は使わず350ccの場合ダイレクトで落としている。 250ccには付いていないので350cc用のホースを使うと冷却能力が向上できる。
このプロトタイプのエンジンのシリンダーヘッド上部にワイヤーが付いている。 現在Gooseのヘッドには封印されているこれはデ・コンプの跡です。 キックスターターでもないので圧縮を抜く必要はないですものね。

参考:S57のDR250S(SJ41A)エンジンは今でもBigBoyやボルティーに使われています。 面白いところで言えばSW1も同じエンジンでオイルクーラーが付いているのでクラッチカバーを交換するだけでオイルクーラーが付けれたりします。 たぶん、SW1のロータリーシフトも流用できるかと・・・しかし、SW1って、たしかGoose250より高かったような? まっ、余談です。


TWO M'S ’90/4/30号 スズキDR250Sインプレッション記事在り興味を引く記事のみ抜粋する。
 スズキのオン・オフモデルのラインナップに久々に4ストロークマシーンのDRの名が復活した。 こくないむけのDR250Sはエンジン・フレーム・サスペンション…と総てが新設計。 スリムだが少し大柄な車体とストレス無く良く回るエンジンが特徴的。見かけはおとなしそうだが、その個性は意外にライダーを刺激し駆り立てる。  DR350Rを250化し、オンロード走行を含む、公道走行を可能とするためのセッティングと装備を付加したこのモデルである。(ここで判ることはDRが”DUALSPORT”と書かれているようにデュアルパーパスマシーンとして販売されたことですね。 丸目のDR250Sが市場から消え、アメリカ向けに’96から開発が開始となったDR350Rをベースとして国内販売用に作られたのが’90に発売されたDR250Sだったのです。) 圧縮比10:1となると250ccと言えども、キックによる始動はあまり歓迎できない。 もちろんマニュアル作動のデ・コンプもついているから必要とあれば、使用可能。 何よりストレスなく高回転域、レブリミッターが効くまで全くスムーズに良く回る。 (セル式クランクケースもフレームが同じのため積替え可能) Goose453ccエンジンを積んで足回りもGooseというマシーンに作り変えることも可能かもしれない。 そうなってくると面白いだろう。 シリンダーヘッドフィンがGooseの方が長いため加工が必要かもしれない。 車高調整タイプのDR250SHからの改造が良さそうだ。
参考:特集:ホンダXR物語
XRはDT-1の対抗車(VT:RZといいホンダはヤマハの2ストロークマシーンに対抗する車体を4ストロークで対抗しようとする精神が見受けられる。)として作られた。 また、現在では窺い知る事が出来るが、’60年代にすでに2ストロークは環境対策としてなくなるという噂が各メーカー側にはあったようだ。 さらにピークパワーは2ストロークの方が上回るがピーキーでコントロール性が現在ほど良くはなく、焼きつきやオイル消費の面から言っても2ストロークより4ストロークの方が有利だと考えた。 そのXRがアメリカのデザートレースを首位で走っていた頃、スズキが対抗車として開発したのがDR350Rということとなる。 
TWO M'S ’90/7/31号 スズキDR250SHインプレッションあり

キックスターター取り付け

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